𠮷水神社境内の名勝 「一目千本(ひとめせんぼん)」
吉野山の桜
今から1300年前、役行者が金峯山寺を開くとき、感得した蔵王権現を桜の木に刻んだことより、吉野では桜の木をご神木として保護してきました。 吉野山は山岳宗教と密接に結びつき、役行者の神秘的な伝承と修験道が盛行し御神木の献木によって桜の木は植え続けられました。
現在ではシロヤマザクラを中心に200種・約3万本の桜が吉野山全体を覆っています。
吉野山の麓から山頂へかけて、下千本・中千本・上千本・奥千本といい、四月上旬より山腹の気温が上昇するのにあわせて、順番に山桜が咲き上がって行くので、春先の長い期間に桜を楽しめるのが吉野山の桜の特徴です。
𠮷水神社の境内(駐車場横)からは、「一目千本(ひとめせんぼん)」の名称どおり、中千本と上千本の山桜を一望することができます。
名勝「一目千本」は別名を「一目十年(ひとめじゅうねん)」とも言われ、その景色を一目見ると十年長く生きることができる長寿のご利益があると言い伝えられています。
桜色の山景色〜奈良県吉野山〜𠮷水神社境内より一目千本(ひとめせんぼん)〜
「年月を 心にかけし吉野山 花の盛りを今日見つるかな」 豊 臣 秀 吉
文禄三年(1594年)に豊臣秀吉が南朝を偲んで𠮷水院(𠮷水神社)を本陣として盛大なる花見の宴を催しました。徳川家康・加藤清正・前田利家・伊達政宗など時の武将たちを含め総勢五千人の家来を引き連れて吉野山を訪れ、𠮷水院(𠮷水神社)に約五日間滞在されました。その時に、歌の会、茶の会、能の会などを開いて豪遊されました。一世の英雄がその権勢を天下に示し念願の大花見をしたのでした。
豊臣秀吉はその時に、後醍醐天皇玉座の間の修繕や庭園の設計などを含め、数多くの能面や金屏風などの宝物を𠮷水院(𠮷水神社)に残され寄贈されました。
これらの宝物は現在も、𠮷水神社の書院内(重要文化財)に展示しており、一般拝観いただけます。
「いつかはと 思ひ入りにし み吉野の 吉野の花を 今日こそは見れ」 豊臣秀次
「君が代は 千年の春も 吉野山 花にちぎりの 限りあらじな」 徳川家康
「千早振る 神の恵みに かなひてぞ 今日み吉野の 花を見るかな」 前田利家
「君がため 吉野の山の まきの葉の 常磐に花も 色やそはまし」 伊達政宗
豊太閤愛用金屏風 狩野山雪画「竹の図」