弁慶力釘(べんけいちからくぎ)
弁慶力釘
𠮷水神社境内には、義経を命がけで守った武蔵坊弁慶の決死の迫力を今に伝承する「弁慶力釘」という釘の刺さった岩が本殿の横に祷られています。
この岩に触れると弁慶の力と勇気が与えられると言われています。
ここで、弁慶力釘にまつわる古伝をご紹介いたします。
時は文治元年鵞毛のごとく散乱す雪の師走のこと、ところは吉野山の僧坊・𠮷水院(現𠮷水神社)。
兄・頼朝の追手を逃れて転がり込んだ義経・静御前・弁慶の一行は、ここにその身を潜めて再起を図るべく、知恵に知恵を絞っていたその最中、すでに頼朝の触手はこの吉野山にも伸びていたのであります。
「ここに義経が隠れているのであろう、出てまいれ!」𠮷水院の玄関先でわめく追手たち。
その騒ぎを聞いた武蔵坊弁慶は、たちまちズッカと丸腰のまま表へ飛び出した。
異様な凄みある大男の立ち姿に、その場にいた追手たちは一様におののいたのであります。
「この由緒ある寺院で騒ぎ立てるとははなはだけしからん。身共と力くらべで張り合うことのできる者がいるならば、その者からお相手さしあげる!」
そう言うと弁慶は庭に置いてあった大釘を二本手にし、やにわに追手たちの真ん中にあった岩の前まで進み出た。
片手で岩を鷲掴みに掴むと、もう片手の親指を釘の頭部に当て、全身全霊の力を込めて
「あえい!あえいやあ!!」と烈火のごとく顔を真赤にして、大釘を岩のてっぺんから親指だけでぐいぐぐいと終いまで押し込んだ。
すぐさまもう一本の釘を持つと、カッと開いた目で追手たちに釘先をぐるりと見せつけ、イカサマまぐれの類では無いと言わんばかりに、さきほど押し込んだ釘の隣に、これまた親指を釘の頭部に当てて、全精力一点集中・渾身の腕力で岩に釘を押し込んで行く。
「あえい!あえいやああああっ!!」
顔を見合わせ覚えず後ずさりを始める追手たち、弁慶の只者ならぬ形相と、この世のものとは思われぬ怪力を目の当たりにし、己の頭蓋にでも釘を刺されてはたまらんと、一人が走り逃げたのをきっかけに追手たちは倒けつ転びつ蜘蛛の子を散らしたがごとく逃げ去って行ったのでありました。
後に吉野で大花見をした豊臣秀吉も、弁慶力釘の言い伝えを聞いて弁慶の忠臣と火事場の馬鹿力に感激し、「力をもらいたい、力を!」と言って岩に触れたと伝えられています。
弁慶が義経を守るために渾身の気で打ち込んだ岩に触れ、元気と勇気を授かりましょう!
(上部のくぼみ左右に2つあるのが釘頭)